日別アーカイブ: 2019年10月30日

「オノ・ヨーコ」という人

「日本人を妻に持つアーティスト」特集で気になっていた「元祖有名アーティストと結婚した日本人」的なこの人「オノ・ヨーコ」さんについて

 

「小野 洋子」1933年2月18日生 東京出身

以下Wikipediaより

小野英輔・磯子の長女として、東京で出生した。洋子・啓輔・節子の3人きょうだいであった。

 

父親は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の子であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していた。母親は、安田財閥の祖であった”安田善次郎の孫”である。安田善次郎は1921年に82歳で暗殺されている。

 

母方の曽祖父は元宇和島藩士で実業家の伊臣忠一である。義理の伯父には、医学者の小野康平や外交評論家の加瀬俊一、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、伯母には白系ロシア人ヴァイオリニストの小野アンナ、従弟には地理学者の小野有五、画家の石井茂雄がいる。ヨーコは2歳のとき、父の暮らすサンフランシスコへ転居したが、2年後には母と日本へ帰国し、幼少期は安田家の鎌倉の別荘で暮らした。

 

弟の啓輔は三菱商事に勤務、妹の節子は世界銀行に長年勤めたのち彫刻家になる

 

自由学園(幼稚園)、学習院初等科へ通い、父の転勤に伴いニューヨークに転居し、ロングアイランドのパブリックスクールに通った。再び帰国後、啓明学園初等学校、青南小学校に編入、学習院女子中・高等科を経て、1952年に学習院大学の哲学科に入学。1953年、20歳のときに家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。

 

 

 

ざっと生立ちを見ても安田財閥直系のスーパーお嬢様だと分かりますが、その辺のお嬢様とは桁が違います、ちょっと想像できない位です…

 

その後、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動していきます、1956年に同じ大学の日本人と結婚後離婚、1963年に映像作家のアンソニー・コックスと結婚し娘「キョーコ」をもうける。

 

1969年に離婚、親権で争ったがアンソニーの逮捕などがあり親権を放棄する、「キョーコ」が20代の時孫を会わせる為に再会しその後連絡を取り合うようになる。

 

1966年からロンドンに拠点を移し、その頃からジョン・レノンと関係を持ち始める。
ジョン・レノンとの出会いは有名な話しでご存知の方も多いと思いますが、ロンドンでの個展で天井に小さく「YES」と書かれたキャンパスを脚立に昇って虫眼鏡で見る、といった作品で、ジョンはこれにとても感動し「心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ」と語っています。

 

 

1969年にアメリカで結婚、米国式にミドルネームを入れ「ヨーコ・オノ・レノン」が本名。
この頃、ベトナム戦争の時代から「反戦」「平和」「愛」のメッセージ色が強くなり1971年に「イマジン」が発表される。

 

そして、運命の1980年12月8日、ジョン・レノンが自宅のダコタ・アパートメンツの前でマーク・チャップマンにより射殺される、銃口はヨーコにも向けられたが引き金は引かれず難を逃れた。

 

その後も活発に活動し、2009年には「プラスティック・オノ・バンド」として「ショーン・レノン」「小山田圭吾」と音楽活動を再開しています。

 

オノ・ヨーコさんには「ビートルズを解散させた人」とか「ポール・マッカートニー」と不仲説などありますが、後のインタビューではそれぞれを否定しています、とにかく創作活動を止めない彼女の眼は力強くエネルギッシュなパワーを感じます、50歳までメイクをしたことが無いと言っていますがこの眼力はすごいですね!

 

 

晩年は帽子にサングラスがトレードマークになっています、2019年現在86歳「DLB」という病気になっており、この病気は(レビー小体型認知症)と言い認知症の一種で記憶障害や幻覚などの症状が出るらしいですが、2017年にNHKに出演した際には「すごい病気にはなったけれど、なんともないの」と語っています。

 

年をとっても眼力強い!ジャージ姿でもかっこいい!

 

かっこいい!しかない…

 

息子ショーンと2ショット!

 

おしゃれなおばあちゃんですね、オノ・ヨーコさんは投資家としても優秀で、ジョンの版権権利や不動産や投資事業で総資産は数千億と言われています。

 

自信と信念と圧倒的な存在感、とにかく、かっこいい!そんな全てがスーパーな人でした…

 

 

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