「日本人を妻に持つアーティスト」特集で気になっていた「元祖有名アーティストと結婚した日本人」的なこの人「オノ・ヨーコ」さんについて
「小野 洋子」1933年2月18日生 東京出身
小野英輔・磯子の長女として、東京で出生した。洋子・啓輔・節子の3人きょうだいであった。
父親は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の子であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していた。母親は、安田財閥の祖であった”安田善次郎の孫”である。安田善次郎は1921年に82歳で暗殺されている。
母方の曽祖父は元宇和島藩士で実業家の伊臣忠一である。義理の伯父には、医学者の小野康平や外交評論家の加瀬俊一、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、伯母には白系ロシア人ヴァイオリニストの小野アンナ、従弟には地理学者の小野有五、画家の石井茂雄がいる。ヨーコは2歳のとき、父の暮らすサンフランシスコへ転居したが、2年後には母と日本へ帰国し、幼少期は安田家の鎌倉の別荘で暮らした。
弟の啓輔は三菱商事に勤務、妹の節子は世界銀行に長年勤めたのち彫刻家になる。
自由学園(幼稚園)、学習院初等科へ通い、父の転勤に伴いニューヨークに転居し、ロングアイランドのパブリックスクールに通った。再び帰国後、啓明学園初等学校、青南小学校に編入、学習院女子中・高等科を経て、1952年に学習院大学の哲学科に入学。1953年、20歳のときに家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。
その後、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動していきます、1956年に同じ大学の日本人と結婚後離婚、1963年に映像作家のアンソニー・コックスと結婚し娘「キョーコ」をもうける。

その後も活発に活動し、2009年には「プラスティック・オノ・バンド」として「ショーン・レノン」「小山田圭吾」と音楽活動を再開しています。





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