洋楽トリビア

8月16日 今日は何の日?

8月16日
今日は「マドンナ」の誕生日、そして「アレサ・フランクリン」の命日です

 

「マドンナ・ルイーズ・チッコーネ(Madonna Louise Ciccone)
1958年生、63歳、ミシガン州出身、イタリア系アメリカ人1世の父とフランス系カナダ人の母の8人兄妹の3番目

 

そう!「マドンナ」と「プリンス」って本名なんです、知ってる人も多いかもしれませんが、クイズにできそうですよね!

 

マドンナについては年配の方なら誰でも知っている有名人なのであまり語ることもありませんが、マイケルやプリンスに並び80年代の象徴ともいえるのではないでしょうか?

 

男性遍歴、養子で子沢山、総資産、などなど話題には事欠かないゴシップガールですが、彼女は真のエンターテイナーであることは間違いありません

 

初めてマドンナを聞いたのは1982年のデビューアルバム「バーニング・アップ」でした、声がかわいくてアイドルっぽい人なのかと思ってましたが、とんでもないぶっ飛んでカッコイイ女性でしたね

84年の「ライク・ア・バージン」の大ヒットでポップの女王の座を確立し、その後の快進撃はご存知の通り、攻めの姿勢は今でも変わりません!

 

カッコいいですねマドンナ!誕生日おめでとうございます!

 

 

ムキムキがカッコいい!ハウス路線のマドンナ

 

こちらは今年の6月にプライド・パーティーにサプライズ出演した時の画像、LGBTの団体に10万ドル以上を集めたそうです

パーティーに来ていた人達がTwitterにアップしています、62歳でシースルー、攻めるね・・・

 

 

 

「アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)」

1942年3月25日~2018年8月16日、メンフィス出身、父は牧師で幼いころからゴスペルを歌っていました

「クイーン・オブ・ソウル」の異名をもちグラミー賞受賞20回!
アレサ・フランクリンと言えば「ソウルフル」「パワフル」こんなワードが出てきます、ステージに出てきた瞬間に全体を包み込むオーラ、持って生まれた貫禄でしょうか、ディーバと呼ぶには物足りない、まさにクイーンです!

 

「アメイジング・グレイス」今年映画が公開されました、まだ観てないんですよね、観た人はすごい良かった!と言っていました、Amazonプライムにあればすぐ観るのに、観たいな・・・

 

このメンツでこの存在感、圧倒的です!

 

 

 

 

ギターで在宅ストレスをぶっ飛ばせ!ギターレンタルの【スターペグミュージック】





 

「ケネディセンター名誉賞」(The Kennedy Center Honors)

うちで大人気の「Heart」が歌う「Stairway to Heaven」

ご存じ「Led Zeppelin」の曲、2012年のケネディセンター名誉賞の授賞式でのパフォーマンスです、他にも「レニー・クラビッツ」と「フーファイターズ」も出演していてそれぞれすごく良いのですが、中でもハートのこのパフォーマンスが最高です!

イントロから徐々に盛り上がって、ゴスペルのコーラス隊が入りエンディングまで一気に駆け上がります!
涙ぐむロバート・プラントはどんな思いで観ているのか、年老いたロックスターは何を感じているのか?思わずもらい泣きしそうです…(実際泣いてる人けっこういます)

さて、この「ケネディセンター名誉賞」とは?気になったので調べてみました。

 

「ケネディセンター名誉賞」は毎年優れた芸術家に贈られる賞で、例年12月に「ジョン・エフ・ケネディセンター歌劇場」で開催され、ホワイトハウスで大統領夫妻から贈呈されます。

過去には
1983’ フランク・シナトラ
1987’ サミー・デイヴィスJr
1994’ アレサ・フランクリン
1995’ B.B.キング
1997’ ボブ・ディラン
1999’ スティービー・ワンダー
2001’ クインシー・ジョーンズ
2002’ ポール・サイモン
2003’ ジェイムス・ブラウン
2005’ ティナ・ターナー
2006’ スモーキー・ロビンソン
2007’ ダイアナ・ロス
2008’ バーブラ・ストライサンド
2009’ ブルース・スプリングスティーン
2010’ ポール・マッカトニー
2011’ ヨーヨー・マ
2012’ レッド・ツェッペリン
2013’ ハービー・ハンコック ビリー・ジョエル
2014’ アル・グリーン スティング
2015’ キャロル・キング 小澤征爾
2016’ イーグルス ジェイムス・テイラー
2017’ グロリア・エステファン LL・クール・J ライオネル・リッチー
2018’ シェール

などなど、他にも有名な映画監督や俳優さんもいます、日本人も「小澤征爾」さんが入っていて日本の誇りです。

レッド・ツェッペリン以外にもビリージョエルやイーグルス・キャロル・キングなども見ましたが、どれも見応えのあるライブでした。
コロナが落ち着いたらみんなで泣きましょう!

 

 





「オノ・ヨーコ」という人

「日本人を妻に持つアーティスト」特集で気になっていた「元祖有名アーティストと結婚した日本人」的なこの人「オノ・ヨーコ」さんについて

 

「小野 洋子」1933年2月18日生 東京出身

以下Wikipediaより

小野英輔・磯子の長女として、東京で出生した。洋子・啓輔・節子の3人きょうだいであった。

 

父親は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の子であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していた。母親は、安田財閥の祖であった”安田善次郎の孫”である。安田善次郎は1921年に82歳で暗殺されている。

 

母方の曽祖父は元宇和島藩士で実業家の伊臣忠一である。義理の伯父には、医学者の小野康平や外交評論家の加瀬俊一、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、伯母には白系ロシア人ヴァイオリニストの小野アンナ、従弟には地理学者の小野有五、画家の石井茂雄がいる。ヨーコは2歳のとき、父の暮らすサンフランシスコへ転居したが、2年後には母と日本へ帰国し、幼少期は安田家の鎌倉の別荘で暮らした。

 

弟の啓輔は三菱商事に勤務、妹の節子は世界銀行に長年勤めたのち彫刻家になる

 

自由学園(幼稚園)、学習院初等科へ通い、父の転勤に伴いニューヨークに転居し、ロングアイランドのパブリックスクールに通った。再び帰国後、啓明学園初等学校、青南小学校に編入、学習院女子中・高等科を経て、1952年に学習院大学の哲学科に入学。1953年、20歳のときに家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。

 

 

 

ざっと生立ちを見ても安田財閥直系のスーパーお嬢様だと分かりますが、その辺のお嬢様とは桁が違います、ちょっと想像できない位です…

 

その後、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動していきます、1956年に同じ大学の日本人と結婚後離婚、1963年に映像作家のアンソニー・コックスと結婚し娘「キョーコ」をもうける。

 

1969年に離婚、親権で争ったがアンソニーの逮捕などがあり親権を放棄する、「キョーコ」が20代の時孫を会わせる為に再会しその後連絡を取り合うようになる。

 

1966年からロンドンに拠点を移し、その頃からジョン・レノンと関係を持ち始める。
ジョン・レノンとの出会いは有名な話しでご存知の方も多いと思いますが、ロンドンでの個展で天井に小さく「YES」と書かれたキャンパスを脚立に昇って虫眼鏡で見る、といった作品で、ジョンはこれにとても感動し「心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ」と語っています。

 

 

1969年にアメリカで結婚、米国式にミドルネームを入れ「ヨーコ・オノ・レノン」が本名。
この頃、ベトナム戦争の時代から「反戦」「平和」「愛」のメッセージ色が強くなり1971年に「イマジン」が発表される。

 

そして、運命の1980年12月8日、ジョン・レノンが自宅のダコタ・アパートメンツの前でマーク・チャップマンにより射殺される、銃口はヨーコにも向けられたが引き金は引かれず難を逃れた。

 

その後も活発に活動し、2009年には「プラスティック・オノ・バンド」として「ショーン・レノン」「小山田圭吾」と音楽活動を再開しています。

 

オノ・ヨーコさんには「ビートルズを解散させた人」とか「ポール・マッカートニー」と不仲説などありますが、後のインタビューではそれぞれを否定しています、とにかく創作活動を止めない彼女の眼は力強くエネルギッシュなパワーを感じます、50歳までメイクをしたことが無いと言っていますがこの眼力はすごいですね!

 

 

晩年は帽子にサングラスがトレードマークになっています、2019年現在86歳「DLB」という病気になっており、この病気は(レビー小体型認知症)と言い認知症の一種で記憶障害や幻覚などの症状が出るらしいですが、2017年にNHKに出演した際には「すごい病気にはなったけれど、なんともないの」と語っています。

 

年をとっても眼力強い!ジャージ姿でもかっこいい!

 

かっこいい!しかない…

 

息子ショーンと2ショット!

 

おしゃれなおばあちゃんですね、オノ・ヨーコさんは投資家としても優秀で、ジョンの版権権利や不動産や投資事業で総資産は数千億と言われています。

 

自信と信念と圧倒的な存在感、とにかく、かっこいい!そんな全てがスーパーな人でした…

 

 

あの「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」がご自宅で食べられる【俺のEC】

累計販売数40万本突破のミラブルシリーズ商品『どこでもミラバス』

【ミリ・ヴァニリ】80’S洋楽界最大のゴシップ・栄光と転落

ミリ・ヴァニリ(Milli Vanilli)
口パクで有名なミリ・ヴァニリ、1990年グラミー賞最優秀新人賞を受賞するが口パクがバレて剝奪される、当時インタビューで「受賞の瞬間は人生最悪の瞬間だった」と言っています。

そんなミリ・ヴァニリ、なぜ口パクがバレたのか?その後二人はどうなったのか?気になったので調べてみました。

ドイツ・ミュンヘン出身の「ロブ・ピラトゥス」「ファブリス・モーヴァン」のイケメン2人組ダンスラップユニット。

ボニーMのプロデューサー「フランク・フェーリアン」は1970年代にラップ&ダンスグループを企画していた、有能なシンガーを集めたフランクだが売れるためにはビジュアルが不足していると考えていた、そんな時ロブとファブリスの二人のイケメンに出会う。

このイケメン二人を影武者にし1988年にドイツでデビュー、この時に「この二人はあくまでもフロントマンです」と公言しておけば後々のトラブルは避けられたのだが、そのままデビューしアメリカへ渡り全米NO.1を3曲送り込み1990年には最悪の瞬間、グラミー最優秀新人賞を受賞する。

その後ロブとファブリスはプロモーターのフランクと対立、怒ったフランクは二人は口パクだと暴露し世紀の大騒動になり、賞は剝奪されレコードは廃盤、二人は芸能界を追放される。

その後「影武者」たちは【リアル・ミリ・ヴァニリ】としてデビュー、世間から好意的に受け止められヨーロッパで多少売れたようですがパッとしませんでした。

 

 

ロブとファブリスも【ロブ&ファブ】としてデビュー、こちらは当然まったく売れず二人の仲も険悪になり解散。

 

 

しばらくして何を思ったのかプロデューサーのフランクは、再度口パク二人を【ミリ・ヴァニリ】として再デビューさせようと動き出します、しかしロブはアルコールとドラッグに溺れ強盗事件まで起こし3ヶ月刑務所に服役。
フランクはロブの社会復帰に力を貸すが復帰のプロモーションツアーの前日にオーバードーズで亡くなってしまいます。

2003年に残ったファブリスはソロで再デビューします、アルバム「Love Revolution」の中には亡くなったロブに捧げる「It’s Your Life」が収録されています。

2007年にはこの波乱万丈な二人を題材にした映画の製作が発表されますがその後何も情報は伝わってきません。

グラミー賞剝奪当時二人の年齢は20歳と22歳、デビューは2年前なので18歳と20歳、右も左も分からない若者達です、売れるために作られた商業音楽の犠牲者とも言えます。

 

 

追記
ちなみに「口パク」は英語で「lip-sync」と言うそうです。

【TOTO】名前の由来、諸説あり…

よくお客様でTOTOが流れると、TOTOの名前の由来はメンバーが日本に来た時にトイレで見つけて「おっ!いいな!」て気に入って付けた名前なんだぜ!と言っている人が多いですが、それについて反論する人もいて諸説ありな状態です。
気になったので調べてみました、3つの説があるようです。

①上の便器説

②元メンバーの本名から取った説

③オズの魔法使いの犬の名前説

①当時「TOTO」は日本先行で人気があったので「ミュージックライフ」のインタビューで答えた日本のファンへのジョーク混じりのリップサービスのようです。

②元メンバーの「ボビー・キンボール」の本名が「ロバート・トトース」なのでそこから取った、と言っていますがそれもジョークで実際の本名はトトースではないそうです。

③オズの魔法使いに出てくる犬の名前が「TOTO」
当時デモテープを作っていた際にオズの魔法使いを見たばかりだったジェフが、テープを判別できるようテープに「TOTO」と書いたのが始まりで、後にデヴィッド・ハンゲイトが意味を調べたところ「TOTO」はラテン語で「全て」や「網羅的」などの意味があり、色々なジャンルで活躍してきた自分達にピッタリだと思いそのまま使ったという説。

一番信憑性があるのが③ではないでしょうか?
しかし、なぜ本当のことを語らないのでしょうか?
解散直前にスティーブ・ルカサーが、本当はこのバンド名が好きじゃないと言っています「いつのまにかこの名前になってたんだ!便器メーカーと同じ名前だぜ!」と皮肉を言っていたそうです。

TOTOのメンバーも何となくつけたら、そのまま認知されてブランド化もされたので、そのまま使っていたのでしょう。
1つ分かったのは、TOTOの演奏はビシッとしてますが、普段はふざけた人達だということです。

備考

【TOTO】
北九州に本社を置く衛生陶器や住宅設備機器などを製造販売する会社で、ユニットバスやウォシュレットなどを意欲的に開発。(おしりだって洗ってほしいのCMは当時印象的でしたね)
1970年に「東洋陶器」から「TOTO」へ社名変更
資本金355億7900万円の世界的企業

サッカーのスポーツくじもTOTOでしたね!