この前「シンプリーレッド」を耳にして
ふと、ドラマーは「屋敷 豪太」だったな・・・
なんて思い出しました
そこで、海外で活躍する「バンド」ではなく「ミュージシャン」が気になったので調べてみました!
「屋敷 豪太」
1962年京都出身
「シンプリーレッド」のドラマーとして有名ですが、他にも「ソウルⅡソウル」のプログラムを担当してたり調べると沢山出てきます!
1982年「こだま和文」らと「ミュートビート」結成(ダブバンド、今聞いても気持ちいい)
1986年 「桑原茂一」さんが原宿に「ピテカントロプス・エレクトス」をオープン、これをきっかけに「MELON」に加入、このバンドは知っている人も多いでしょうがスペシャルでゴージャスなバンドです
(ピテカントロプスも伝説のクラブでした、スネークマンショーはここから始まり、今や超大御所の高木完や藤原ヒロシも回してました)
メンバーは元プラスチックスの「中西 敏夫」「佐藤 チカ」を中心とし、「細野 晴臣」「高橋 幸宏」「土屋 昌巳」らが参加し、レコードデビュー
その後「屋敷 豪太」「プリンス工藤」「ヤン富田」が加入!
最強豪華メンバーですが「癖が強いんじゃー!」って感じですよね・・・
やっぱり解散し「屋敷 豪太」は単身渡英
そして「ソウルⅡソウル」と出会いグランドビートが誕生します!
アルバムのヒットから「シンプリーレッド」に参加、関わったバンドは他にも沢山あり
- 「プリンス」の楽曲で有名な「シネイド・オコナー」の「Nothing Compares 2 U」全楽器の演奏とプログラム
- 「マッシブアタック」「アラニス・モルセット」プログラムとアレンジ
- 「デペッシュモード」「ビョーク」のリミックス
などなど、凄いですね!
現在はドラマー・プロデューサー・ミュージシャンとして活躍中です
「山内 テツ」
1946年福岡出身
世界進出のパイオニア
ベーシストとして、UKのロックバンド「フリー」と「フェイセズ」の正式メンバー
1972年、来日中だったフリーのメンバーと意気投合し渡英、フリーのベーシストとして参加
1973年の解散後「ロッド・スチュワート、ロン・ウッド」率いる「フェイセズ」に迎え入れられます
1975年に解散「ロン・ウッド」はローリングストーンズに入ります
帰国後は自身のバンドをいくつか結成し音楽活動をしていましたが、現在は家族と共に静かに暮らしているそうです
実は山内さんの事は知りませんでした、70年代にこんな凄い人がいたんですね!
日本人としてなんか誇らしい!
「キース・リチャーズ」とも共演してるなんて!スゴイ!
自身のバンドカッコエエ~~!70年代な感じ!
こちらもカッチョエエ~~!ファンクなんですね!
「ジェイク・E・リー」
1957年生
父親がウェールズ系のアメリカ人、母親が日本人のオジー・オズボーンの元ギタリスト
「ラット」の「ロビン・クロスビー」とは地元のビーチをホームとするサーファーで幼馴染
80年代にラットに加入、その後「オジー・オズボーン」のオーディションを受けるために脱退
急逝したランディ・ローズの後任として「オジー・オズボーン」で2枚のアルバムに参加しましたが解任されます
「レイ・ギラン」らと「バッドランズ」を結成、アルバム2枚をリリースするもレコード契約を解除される
その後、ソロアルバムの発表、数々のトリビュート作品やレコーディングに参加したりしています、2013年には自身のバンド「レッド・ドラゴン・カーテル」名義でアルバムをリリースしました
この「レッド・ドラゴン・カーテル」シブい!おじさん達カッコいいです!
「ケイ赤城」
1953年仙台出身
ジャズピアニスト
1989年~1991年まで「マイルス・デイヴィス」のバンドメンバーとして活動する
現在もジャズピアニストとして活動中
「マイルス・デイヴィス」と一緒に演奏してた日本人がいたなんて知りませんでした・・・
「ジェームス・イハ」
1968年シカゴ出身、日系3世
「スマッシュ・パンプキンズ」のギタリスト(ボーカル)
1987年の「スマッシュ・パンプキンズ」結成時のメンバーで、2000年に脱退するまで10枚のアルバムをリリースしました
脱退後は自身の音楽活動を続けながら、邦画のサントラを手掛けたりプロデューサーやリミクサーとして活躍中、日経3世なのでほとんど日本語は話せないようです
「マイク・シノダ」
1972年ロサンゼルス出身
「リンキンパーク」のボーカル、ギター、キーボード
父は日系アメリカ人、母はロシア系アメリカ人のハーフ
ロス郊外の住人の8割が白人という環境で育つ、本人は日本語は喋れませんが弟の「ジェイソン」は同志社大学で日本語を勉強していました
世界累計1億枚以上のセールスを記録している「リンキンパーク」ですが、2017年の「チェスター・ベニントン」の自殺は衝撃でした、来日も決まっていたのでファンのショックは大きかったでしょう・・・
ミュージシャンではないですが、海外バンドのアートワークで活躍した日本人
「空山 基」
エロティックでメタリックなセクシーロボットが画風で、「エアロスミス」の2001年に発売したアルバム「Just Push Play」に起用されました、SONYの初代AIBOのデザインを手掛けたのも有名です
「横尾 忠則」
天才,奇才?日本を代表するアーティスト、POPカルチャーを引っ張ってきた人
この才能はミュージシャンも放っておかないですよね!
これは有名な「サンタナ」のジャケット、サイケな時代
「マイルス・デイビス」75年大阪ライブを収録したアルバム
第3期の「ラウドネス」うちでは「ラウドネス」は洋楽扱いです
「長岡 秀星」
日本人でアルバムのアートワークと言えばこの人、手掛けたアルバムは多数、独特の宇宙観で国際的に活躍しました、2015年に心筋梗塞で亡くなっています、78歳でした
沢山あるのですが、一部ご紹介!
「アース・ウインド&ファイヤー」1977年、アースと言えばこの世界観ですね
「カーペンターズ」初期の作品、1973年
「エレクトリック・ライト・オーケストラ」1977年
「メイズ」1977年
「ディープ・パープル」1988年
最近は様々なジャンルで日本人の活躍が見られるようになりましたが、70年代80年代の日本人の海外進出の苦労は想像以上だったでしょう、今やNetで国内とか海外とかなく、才能があればWebで発信して売れる時代、昔からは想像できないけど、一つ言えるのはいつの時代も才能のある人は輝いてますね!
番外
すいません、冒頭に出てきた「スネークマンショー」好きなんで載せときます~~
どれも好きなんですけど、中でもこれ!「ジャンキー大山ショー」
あとこれも、洋楽ネタなんで・・・